<香椎仏研> 2012年1月12日
「道徳、念仏申さるべし」
第1条
一. 勧修寺村の道徳、明応二年正月一日に御前へ参りたるに、蓮如上人仰せられ候。
「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏申さるべし。/ 自力の念仏というは、念仏多く申して仏にまいらせ、この申したる功徳にて仏の助けたまわんずるように思うて称うるなり。/
他力というは、弥陀をたのむ一念の発(おこ)る時やがて御助けにあずかるなり。そののち念仏申すは、御助けありたるありがたさ〃〃と思う心をよろこびて南無阿弥陀仏〃〃と申すばかりなり。/ されば他力とは他のちからというこころなり。この一念、臨終までとおりて往生するなり」と仰せ候うなり。
1、 念仏の勧め
勧修寺村は、現在の京都市山科区勧修寺東北出町である。明応2年は1493年である。蓮如上人は79歳であるから御晩年である。 道徳は一説によれば1420年生であるからこのとき73歳である。昔の人は皆正月に一斉に年を取ることになっていたので、上人は正月に参詣した道徳に年を聞かれたのである。
「道徳はいくつになるぞ」、この問いかけが大事である。人が年を取るとは、犬や猫と同じような単なる自然現象ではない。年相応という言葉があるように、人は年を重ねることによってだんだんと人間として成長していくことが期待されている動物である。いくつになっても少しも成長していないとすればまことに恥ずかしいことである。つまり人間は年齢と自分の生き方との間に深いつながりを見出さずにはおれないのである。
(例)孔子の言葉「吾十有五而志于学。・・・・」(論語)
ある書物に、小学生が母親に対して「子供は大きくなったら大人になるけど大人はそれから何になるの?」と聞いたという話が載っていた。大人はそれから・・・年寄りになるでは子供は納得すまい。20歳の成人式も結構であるが、本当は人は一生かかって人に成るべき存在である。人間らしい人間になることこそ人間に生まれたことの意義であり目的である。人間らしい人間とは、深い智慧と慈悲の持ち主になることであろう。これ以上の大きな課題はない。したがって年を取るということは、自らを問われるということ、自覚を迫られることである。お前はそれでよいのか。成長しているのか、毎日をむなしく無意義に過ごしているのではないかと。
「道徳、念仏申さるべし」、上人は道徳の年齢を問うただけでなく、すかさず道徳に対してこのように仰った。これは一体どういう心であろうか?
思うに人間はどんなに年を重ねて色々な経験をし苦労しても、それだけでは決して本当に成長することは出来ないということであろう。人は仏法がなかったならば、長生きすればするほど自我の殻が厚くなって柔らかさを失い、かたくなになる。自我の殻を破られて広い大きな世界を生きることが出来ない。生まれて今生きているという、かけがえのないいのちの本当の意味を実現することが出来ないままで生涯を終わることになる。年を取り、残りのいのちが少なくなればなるほどこのことが無視できない問題として迫ってくる。 念仏申すということは、仏法によってお育てを受け、仏法に生かされることである。生活の全体が仏法と一つになっているすがたである。
2、自力の念仏と他力の念仏
そこで上人は、自力の念仏と他力の念仏の違いを具体的に明らかにされる。要点だけ述べると、自力の念仏とは、自分が助かるための手段として申す念仏である。つまり念仏というも人間(私)の努力によっておこなう行としか考えられないから、どういう心で念仏するか、どれだけ沢山念仏するかといった、人間のはからいが入っている。したがって念仏しても常に結果を求める功利的な心を離れることが出来ない。( 念仏が請求書になっている)
また念仏と引き換えに求めている救いも、自我の思い描いた妄想に過ぎない。真実の救いとは似て非なるものである。
自力とは、この場合は自力の心のことであって、私は仏法(本願)に依らなくても自分の努力によって立派に煩悩の問題を解決出来ると思う心である。それを我が身をたのむ心という。煩悩を解決するとは煩悩を超えることであり、さらに世間を超えることである。なぜなら世間というも名利心に代表される人間の煩悩の産物に他ならないからである。世間に対する執着を離れることは容易なことではない。世間の中の問題ならともかく、世間を超えるという問題については人間の努力によってはついに不可能といわざるを得ない。なぜなら煩悩に目鼻をつけた人間が煩悩を超え離れるということは、自分の体を自分で持ち上げるに等しいことだからである。
それに対して他力の念仏は、自力を尽くした聞法の果てに、ついにその自力に破れて阿弥陀の本願をたのむほかないと、自らの限界に目覚めた人の申す念仏である。そうすると念仏は自分が助かるための手段ではない。念仏をしっかり申して、これから助けてもらうというものではない。念仏申す身になったことが仏法(本願)によって助かったことである。助かった証拠である。これを「領収書の念仏」という。( 米沢英雄師)
したがって仏法を聞き始めた最初からこのような念仏を申せる人は一人もいない。最初は皆自力の念仏から出発するのである。( 自力の念仏の大切さ、その意義については今は割愛する)
私の救いはどこで決まるかというと、ひたすら聞法して、とても助からないような深い闇を抱えている愚かな我が身を知らされ、このような私のために起こされた如来の大悲の願にまかせるほかないと、本願をたのむ心が生まれた時である。これを他力の信心という。それを「歎異抄」の第一章では、「念仏申さんと思い立つ心のおこる時すなわち摂取不捨の利益にあず」かるという。したがって念仏は、わが身をたのむ心をひるがえされて阿弥陀の本願をたのむ心が生まれた、その阿弥陀をたのむ心の表現なのである。つまり心の奥底に成立した根源的なめざめである他力の信心が、おのずから念仏(称名)となって表に現われたのである。昔から「思い内にあれば色外にあらわる」という諺があるように、心の内に深い感動や喜びが生まれれば、それはおのずから外(顔の表情や態度、言葉)になって溢れ出ずにはおかない。それは全く自然なことである。
※ 「聞書」第四条を見よ。 「念声是一」についてのべたもの。
「信を得たる体はすなわち南無阿弥陀仏なりと心得れば口も心も一つなり」
(3) 信後の念仏の意義
それでは教えを聞き開いて信心をいただいた人がその後に申す念仏にはどのような意義があるのだろうか?
それについて蓮如上人は、「そののち念仏申すは、御助けありたるありがたさ々々と思う心を喜びて南無阿弥陀仏々々と申すばかりなり」と述べておられる。この点についてもう少し考えてみたい。
信心をいただいた後の念仏は、昔から浄土真宗では報謝(報恩謝徳)の念仏といわれてきた。それに間違いはない。考えてみれば報恩謝徳の情ほど人間の自我(エゴ)を離れたものはない。懺悔と共に、自我(我執)のかたまりである人間に成り立つ数少ない無我の心である。
しかし信後の念仏の意義は決してそれだけではない。報謝の念仏を強調すると念仏の生きたはたらきがはっきりしなくなるのではないかと思う。もう少し広く、信と行の関係から考えてみる必要がある。行とは大行・南無阿弥陀仏のことである。煩悩の衆生をひるがえし成仏道に立たせる如来・本願のはたらきである。しかしそのはたらきが衆生私の上に実際に実現するためには、その如来のはたらきを妨げている私の自力の心が打ち砕かれなくてはならない。自力の心とは先にもいうように、私は仏法(本願)がなくても煩悩を超え離れることが出来ると我が身をたのむ心であるから、この心が根を張っているかぎり、如来の本願つまり他力は摂取不捨のはたらきを現すことが出来ない。如来の他力を妨げているものを衆生の自力の心というのである。
他力の信心とは、そのような自力の心が仏の智慧によって打ち砕かれ、無きも同然となった心である。したがってある先生はこの信心のことを「本願のはたらく場所となった心」といっておられる。このようにして、信心のあるところ南無阿弥陀仏となった本願は生き生きとその本領を発揮することが出来る。それが口からあふれ出る称名なのである。
聖人は「御本典」の信巻で、「真実信心は必ず名号を具す」といわれる。( 12-78)
この名号とは念仏(称名)のことであるが、それを念仏といわずに名号と言われたのは、名号となった本願のはたらきを強調されたかったからではないかと思う。念仏とは本願の名号が信心をくぐって現われ出たもので、信心と別のものではない。そうすると念仏申すその念仏のところに信心が生きている。如来の本願に目覚めた信心が、念仏の形をとって生活の中に生きてはたらいているのである。
先ほどいうように、我らは他力の信心によって救われるのであるが、その信心はただ信心にとどまっていない。信心は動的なものである。 念仏となることによって具体的な日常生活の場を仏法の場、如来の時間と空間にしていくような力を持っている。このように信心をいただいた後の念仏は、信心を生活の中で純化し相続せしめて、かえって信力増長せしめるはたらきを持っている。常に信心の固定化を破って新たにするはたらきがある。
また、聖人が「南無阿弥陀仏」の南無(帰命)を本願招喚の勅命といただかれたことによって、念仏は私の口で申してもそのまま私を呼び覚ます如来の声であり、私が如来の呼び声を聞くという意味を持っていることが明らかになった。称名のままが聞名であるというのである。かくして信心を成就する名号のはたらきが我が口から漏れ出る念仏にも具わっているということが言えるのである。このように考えれば、信後の念仏の意義はきわめて大きいもので、単なる報謝の行にとどまるものではないということが言えるのである。